五位谷川の河童


篠尾町の北に流れている川が、五位谷川である。昔は川幅が広くて、今の4倍から5倍の水が流れていたが、洪水も干ばつもない平穏な川であった。この谷川に河童の親子が5匹、仲良く暮らしておった。
長くて寒い冬もようやく終わって、野山に草木の芽がよみがえって来た。そんなある日、河童の親子がそろって甲羅干しに出かけることになった。見晴らしが良く、春の息吹きが感じられる川下の垂戸(すいど)の塚へと出かけた。
久しぶりの甲羅干しで、子河童は塚に登り、春風に戯れながら駆け回っていたし、親河童はお互いに今までのことを振り返ったり、子供たちの将来についての夢を語ったりしながら、河童に生まれ合せたことの喜びを話し合っていた。そして、子河童が戻ってきたのを確かめると、揃って水辺でうとうとと眠りこけていった。

この日は、村では「江堀」の日で、村中の百姓が総出で江溝の土砂を掘って田んぼの水の通りを整える共同作業の日であった。
「あっ、ありゃ何じゃ。滅法に、いけい亀の甲じゃぞ」
「あらあ ほんでも、いこう過ぎるぞ。ありゃ、亀でねえ」
「甲羅が3つあるんでねんけ」
「ありゃ、河童でねんけの」
「ほやわ、ほうや、ほや。ありゃ、河童じゃ。ちゃまえてしまえ」
若い百姓らが、口々に喚きながら駆け寄ってきた。
この騒ぎに驚いた河童は、落ちるように川の中に身を隠した。

河童は水の中では神出鬼没。人間どもに見つけられたり、捕まえられたりは滅多にしない。片方の足先が川の水に着いてさえいれば、熊や馬でさえ水に引きずりこんでしまうという怪力の持ち主でもあった。水にさえ入ってしまえば大安心で「陸に上がった河童」にならぬことが、河童として生きる大鉄則であった。
川に戻った河童は目と目で無事を確かめ合った。が、次の瞬間、子供の河童がいないことに気がついた。しかし、その時、子河童は騒ぎに脅え、塚の上に向かって逃げ出していたのだ。
母河童は動転し、見境をなくして陸に上がろうとした。父河童は、陸に上がった河童の無力さを話して、母河童を思い留まらせた。母河童は、父河童の非情さをなじったり、不甲斐なさに腹を立てたりしていた。が、やがて思いあきらめて、子河童の無事を祈りながら、山合いの巣に引き上げた。

五位谷川の大淵にある巣に戻ってからも、母親は嘆きつづけた。そして、「近頃の若い百姓の非道は目に余る。面白半分でカニを殺したり、ヤマメを捕まえたり、川へ小便を垂れたり、犬猫の死骸を投げたり」とひとしきり百姓をののりし、わめき散らした。
「わしら二人が手に手を取って、この川に越してきた300年前は、まだまだ良かったなあ。村人もみんな仲良しで、それぞれがみんなを思いやり、助け合っていた。わしら河童の領分を侵すものはいなんだ。お前の言うとおりで、人の世間はだんだん悪うなってきた。今は汚れ物を洗濯して平気で川を汚す。わしらを見つけたと言っては追いかけ回す。わしらを捕まえて、町で見世物にして儲けてやろうと言うてる若い衆もあるそうな。近頃は、この川も住み難うなったもんじゃ。」
「熊やら狐、イノシシやらウサギやら。こうした獣はわしらの領分じゃった。近頃は獣はおろか岩魚まで奪いにくる。何でもかんでも見境なしじゃ。何でも町へ持っていっては金に替えてくるそうな。自分らの要りようだけでは足りずに、止めどもなく金儲けをしとうなったんじゃ。競うてでも金儲けしようとするので、村の中でも恨みねたみや、ひねし腹が増えているそうな。自分だけ楽して、面白けりゃ良いと言う百姓が増えてきたんじゃ。」

 父河童の口説きが終わると、どうやら結論に達した。
「お父っつあん、子供が生きて帰ったら、もうこの川には見切りをつけよう。他にもっと良い川を探しに、旅に出よう。」
 村の若い衆に追われ、子河童は必死で逃げた。江溝に沿い、あぜを越え逃げ隠れしたが、すぐ若い衆に見つけられた。そして、次第に村の中へ追い込まれていった。追い詰められてどうしようもなくなった時、子河童の目に百姓の家の井戸が目に入った。のぞいてみると思ったより深い井戸だったが、思い切って飛び込んだ。
「オーイ、今、バチャッと言う音せなんだけ。」
「河童の野郎、あっこの井戸へはまったぞ。」
「あっ、ほやわ。河童の足跡や、ほらほら。これもこれも。」
追いかけてきた若い衆が集まってきた。
「オーイ、石持って来い。投げ込め」
「竹竿持ってきて突け、突け。」
大勢の若い衆が、手に手に石や竿を持っての大騒ぎが始まった。

子の騒ぎを聞き付けて、家の主の安兵爺が出てきた。
「皆の衆。何事があってか知らんが、私の家の井戸へ、土まみれの石を投げ込んだり、竹ざおで突ついたり、どういう事じゃの。」
「追っかけてきた河童が、井戸の中に逃げこんだんや、爺さん。」
「見ると、この村の若い衆が大勢そろっているが、今の若い衆は河童に恨みでもござるんけの。河童はの、村の水道の守り神さんやぞの。みんなうらんどこの井戸から立ち退いてくんさい。病んでいる婆さんもいるこっちゃで、とても迷惑じゃ。それに、今日は江掘の日、そやけ、その方にみんな精出してくんさいの。お頼み申す。若い衆は一言もなく退散した。」

 その晩である。安兵爺さんの家の雨戸をゴシゴシ擦るものがいた。爺さんが戸を開けると、暗闇に3匹の河童がそこにいた。
「爺さん、わしら昼間の礼に来たんにゃ。息子が井戸に逃げ込んだのを助けてくれたそうで、本当にありがとうございました。ところで、わしら親子は他の川を探して、引越しすることにしました。そうなると、もう川を守る河童がえんようになるんで、とても心配なんです。そこで、この壷を爺さんに預けていきたい。見た目にゃ見栄えもせん壷じゃが、さあ、どうぞ。」

 差し出された壷は、表面はガサガサの土くれが見えそうで、片手で抱えられそうな、何の変哲もない古壷であった。
「五位谷川に大水が出そうになったら、人知れず五位川原に沈めておくれ。余分な水を吸うてくれる。水不足なったら、河合の渕に沈めておくれ。この村で要る分は、水を吐き出してくれる。済んだら、放って置かずに人知れずに持ちかえっておくれ。壷の口に耳を当てると、夏なら涼しげな音色が、冬なら春を思わせる暖かげな音色が聞こえてくる。この音色を聞いていると、人の病が治る。爺さん、婆さん、達者での。」
「河童どーん、河童どーん。うらはもう年寄りじゃ。もう余命がないんじゃ。どこへも行かんと、もっとここにいてくんさいのー」
 河童はにっこり笑ったが、返事はしてくれなかった。

 まもなく、婆さんの病は治って、今までになく元気になった。安兵は長寿を全うして、それから20年生きた。安兵が死ぬと、壷は堂様にお預けになった。しかし、それから壷は悪童どもの遊び道具になって、割れてしまったそうな。
 今の五位谷川は、水も少なく白濁している。昔の面影はもうない。

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