縄文や弥生文化の頃

 酒生地区は北東部を100m〜400mの山々に囲まれ、南西部に足羽川が潤す扇状地が広がっています。古来より、山里と川が作り出す地域は人々が生活し易い場所であり、酒生も例外ではなく、人々が昔から住みついていました。
 篠尾南部にある天神山周辺では、4000年〜5000年前にはすでに、足羽川で魚取りをしたり、山で狩猟をしたりしながら自給自足の生活をしていた人々がいました。
 やがて、大陸から稲作作りが伝わってくると、酒生の人々は豊富な水と平らな平地を利用して米を作り始めました。やがて、酒生は格好の稲作地帯となりました。そのころ、足羽川は大きく蛇行しており、自然の堤防となっていた荒木の北西部からは人々が生活に利用した土器が多数発見されています。彼らは村を作って、実用に適した土器で米や肉などを煮炊きをしていました。

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