仏教が広まった頃

 奈良時代から平安時代にかけては、越前の国は全国でも屈指の大きな国であり、足羽郡は今では考えられないくらい大きな郡でした。温和な気候と酒生用水に潤う扇状地のおける米作は、優れた農業先進地として評価されていましたが、都の貴族や寺や社、地方の豪族による田畑や山林の私有地化が進んで、荘園の獲得競争や国司との争いが激化していきました。

 荘園獲得競争の世情不安の中で、人々は篠尾の大惣持寺や成願寺の波着寺、高尾の薬師寺などを中心とした仏教を信仰し、来世の極楽浄土を願いながら不安から免れようとしました。

 そして、源氏と平家が争っていた頃、稲津の斎藤氏が木曾義仲を応援し戦いました。地域の若者達の多くはこの戦いに参加することになり、住民達も多くの犠牲を払わせられました。やがて、鎌倉に幕府が出来ると、幕府の役人達が、越前の守護として取締りを強化したり、稲津に本拠をもった地頭職を歴任したりして、酒生は厳しい支配を受けることになりました。

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