朝倉氏繁栄の頃

 京都で朝廷が南と北に分かれて争いをしていた頃、南朝方の新田義貞らが福井を戦いのための兵隊や食料を集めるための軍事基地にしようとしましたが失敗し、北朝方の守護大名斯波氏の強い支配を受けることになりました。
 やがて、その配下であった朝倉氏は、一乗谷にその居を構え、以後100年もの間、この地域を支配するすることになりました。朝倉氏全盛の頃は、応仁の乱で乱れた京都を逃げる多くの貴族や僧侶がいましたが、その多くは一乗谷を訪れ、その繁栄に驚かされたものでした。
 なかでも、真言宗の僧谷野一柏は朝倉氏に招かれて高尾の薬師寺の僧となり、戦いに傷ついたもの、病に患うものを上下隔てなく治療にあたりました。

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