江戸幕府があった頃の酒生

 江戸時代、酒生地域にはすでに9つの村があり、いずれも福井藩領に属していました。田畑の総石高は江戸前期で4000石、後期には4500石であり、これは、川原などの荒地開発によるものでした。水田のほか、一部麻や布の生産も見られたが、産業の発展はほとんどなかった。戸数は九村合わせて580戸、人口は2600人余りであった。福井藩主は徳川直系で江戸志向が強く、地域の発展は次第に遅れていった。そしてこの時代は、越前が大国としての地位を、足羽郡が大郡の地位を失っていった時代でもあった。

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