明治以後の酒生

 明治を迎えると、市制、町制が出来、酒生は福井県足羽郡酒生村として生まれ変わり、村役場が荒木新保に置かれた。明治30年代には、京都電灯株式会社が宿布に水力発電書を設営した。当時としては、世界最高水準の技術が使われ、北陸で最初、全国でも3番目の発電所であった。また、国会議員や県会議員を輩出するなど政治的にも重要なところであったが、産業的には、篠尾を中心に材木、瓦やその運搬、車力、大工、左官など、優れた技能が伝えられたものの会社企業として大きく成長することはなかった。

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