波着寺

 泰澄太子によって開かれ、最初は脇三ヶの山麓にあったお寺。足羽川が洪水のときに、波が寺の堂下まで打ち寄せたので、波着寺と呼ばれたといいます。後に成願寺山の中腹に移されたこの寺は、永平寺を開山した道元禅師が身を寄せたり、朝倉の孝影がここへ参ったりした勢力の大きなお寺でした。また、見晴らしが良いため、軍事上の拠点でもありましたが、加賀の一向一揆が越前に攻め込んできたときに、焼き払われてしまいました。いまは、遺構が残るだけとなっています。

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